【精神障害】障害とともに生きるということ【統合失調症、陰性症状】
今からすこし前、わたしは重い陰性症状に悩んだ時期を過ごしていました。
陰性症状というのは、幻覚や妄想などの激しい精神症状(陽性症状といいます)の後に来る、エネルギーを消耗しきってひどい疲れが出、無気力や無表情、想像力の低下などが目立つ時期です。
そして、今までできていたことができなくなる、というのを、如実に感じる時期でもあります。
わたしは、料理をすることができなくなりました。
絵を描くことができなくなりました。
本を読むことができなくなりました。
テレビが見られなくなりました。
朝目を覚ますために最初の瞬きをするのが難しく、一日のほとんどを目を瞑って過ごすようになりました。
体は鉛のように重く、トイレには這って行きました。
水を飲む気力も枯れ果て食べ物の味も感じなくなり、ただ生存するために胃に物を流し込んでいました。
生きている実感など微塵もなく、からだだけがただただ生きながらえていました。
抜け殻になった体に引きこもった命が死の匂いを発しているような錯覚。
わたしは死を意識するようになりました。
死を現実のものとして意識してみると、肉体的な死までの道のりは、途方もなく長いことに気がつきました。
まず、瞬きすらろくにできないのに死ぬことなんてできるのか?
陽性症状によって思考回路が破壊され尽くしたわたしの脳はそれ以上ものを考えることはできませんでした。
目を閉じて、自分の体の重さを感じました。
この重くて大きい邪魔な体の中にぼろぼろの命が入っているのか。
ぼろぼろの命は、「生きたい」ということはもうありませんでした。
でも、「死にたい」とも言いませんでした。
ゆき場を失った透明でつめたい命。
わたしは存在を持て余していました。
今生きていることの、今まで生きてきたことの、ただ生きているということの、堪え難いまでの重さ。
この途方もなく重い命が大切でないなんて、どうして言えようか?
目の前に一筋の光が差したような気がしました。
わたしはゆっくりと目を開け、もう一度「生き返ろう」ときめました。
それからすこし長い休息期間を経て、すこしずつ訓練を重ね、わたしは「みんなが当たり前にできるけどわたしには難しいこと(例えば家の中で這わずに普通に歩いたりテレビを見たり、など)」を一つ一つできるようになっていきました。
そして、昨日、社会生活を始めるための訓練への正式参加の許可を、主治医の先生からもらうことができました。
治療を始めてから、9年という歳月が流れていました。
これから、一進一退、いろんな失敗もするでしょう。
ですが、春はもうすぐそこ、そんな予感がした冬の日でした。
(統合失調症関連の過去記事は、こちらです。)