くるんちゅ日記

1991年生まれ、統合失調症、専業主婦。日常を綴ります。

統合失調症患者の気持ち〜マニアック版〜「ふつうと言われるともやっとする」

こんにちは、くるんちゅです。

 

 

 

ちかごろスランプのようで、書きたいことはたくさんあるのに頭がうまくまわらずちゃんと形のある文章にすることができません(;;)

 

 

 

ですが、仲良しの読者さんから「くるんちゅが書く感情的な(感情を込めた)記事が読みたい!」というリクエストをいただいたので、気合を入れて書いてみることにしました。

 

 

 

 

今回のテーマは、「統合失調症患者の気持ち」です。

 

 

統合失調症は精神の病ですので、心に通常では見られない現象がおこることがあります。その結果、尋常ではない行動をとってしまう場合も、ないとはいいきれません。

 

ですので、他の人には、なにを考えているのかちょっと理解しがたい場合もあります。

 

 

 

そこで、「こういうとき、こう言われたら患者さんはどう思うのか」ということを、当事者目線で解説してみようと思います。

 

 

ですが、そういうサイトや本は山ほどありますので、わたしのブログでは当事者ブログらしくマニアックな統合失調症患者の気持ちの解説をします。

 

 

 

では、どうぞ(^^)

 

 

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みなさまは、思春期に「ふつう」と言われてもやっとした経験はありませんか。

 

わたしの周囲ではたまに「ふつう」と言われるといやな顔をする、という子がいました。

 

 

思春期は、他人とのちがいなどを意識して自分を確立していく時期ですので、あたりまえの行動だと思います。

 

 

そして、統合失調症のわたしにとって、この「ふつう」というのは永遠のテーマです。

 

 

ここでのテーマは統合失調症患者の気持ちを感情を込めて述べること、ですので、哲学的に「ふつうとは何か」の定義などを考えることなどは抜きにして、純粋に「統合失調症患者がふつうといわれたときの気持ち」について「やや主観的に」そして「感情的に」述べていくことにします。

 

 

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統合失調症という病の悲しみ

 

まだブログでは書いていませんでしたが、わたしは同じ病気をもつ仲間たちがたくさん通う施設にいたことがあります(悪化のため居られなくなってしまいましたが)。

 

 

そこで「統合失調症であるというのはこういうことである」というのを肌で感じるという経験をしました。

 

それについていくつかの短い言葉で述べると、こういうことになります。

 

 

 

「死に物狂いで頑張っても病気に潰されて、結局ふつう以下の生活」

「病気さえなければもっと遠くまで行けたはず」

 


 

 

これをちゃんと解説しますね。

 

 

 

 

だんなさんが、過去にわたしのブログでこんな記事を書きました。

 

 

kurunchu.hatenablog.com

 

 

ここに書いてあるように、わたしは大学を休学・中退して以降、6年ほど家にひとりきりで過ごしています。

 

 

病気の残遺症状や副作用など、生活することにおける複合的な障害(これについてもいずれ詳しく書きたいです)があって社会に進出することは困難な状態だからです。

 

 

そんなわたしですが、過去には夢をもち、たくさんの努力をしました。

 

 

 

 

(↓くわしく知りたい方はこちらの記事をお読みください↓)

kurunchu.hatenablog.com

kurunchu.hatenablog.com

kurunchu.hatenablog.com

 

 

 

 

しかし、その結果残ったのが奨学金(借金)と、ろくに動くことができない副作用まみれのからだ、残遺症状がたくさん残ったぼろぼろの精神だけでした。

 

 

 

病気でさえなければ、もうすこし「まし」な人生を送れたはず…という思いをわたしはずっと捨てきれずにいます。少なくとも薬の副作用で20キロも太ることはなかったはずです。

 

 

 

 

病気でさえなければ。

 

 

 

 

わたしの知り合いにこんな女性がいます。

 

 

彼女はおそらく小学校低学年の頃に発症しました。

 

 

そして、小学校に通うことができなくなり、親にも理解されず箒などで殴られたりしたそうです。

そして、小学校を卒業することもかなわず、その後50年間家にずっとひきこもる生活を送り、学校も、仕事も、恋愛も、結婚も出産もなにもかも経験することなく亡くなりました。

 

 

彼女は聡明で絵などの才能に溢れたとても美しい女性でした。

そして、他人の幸福を素直に喜べる純粋で美しいこころを持っていました。

 

 

しかし、亡くなるまでそれを理解してくれるひとはあらわれませんでした。

 

 

彼女は亡くなる間際つめたい親戚から逃げるように入院していた病院で虐待のような扱いを受けていましたが、そこで妹さんにこう言ったそうです。

 

「みんながわたしのことを見てくれてまるでお姫様になったみたい」と。

 

 

美しく才能に溢れた彼女から、病気は絶望的なまでに多くのものを奪っていきました。50年ぶんの社会経験、才能を活かす機会、恋愛経験、などなど…

 

 

ここまではいかなくとも、わたしが通っていた施設では、たいせつな人生の一部を病気に奪われたひとがたくさんいました。

 

 

そして、その悔しさ、やるせなさを空気で共有して明るく普通のふりをして会話していました。

 

 

やりがいのある仕事をやめざるをえなかった人、大学を卒業するのに7年もかかって結局病気と留年が理由で就職することができなかった人、モデルを夢見ていたのに副作用で30キロも太ってしまったせいでほとんどのお洋服を着ることができなくなってしまった女の子、長期入院が理由で家族に見捨てられひとりぼっちになってしまった人…

 

 

 

みんな、「病気でさえなければ」そんな悲しみを抱えていました。

 

 

統合失調症は、おおくの場合患者さんからたくさんのものを奪っていく悲しい病気です。

 

 

それを踏まえた上で、テーマである「ふつうと言われることについて」を解説していきたいとおもいます。

 

 

 

 

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統合失調症患者が得る「ふつう」

 

 

ここで統合失調症のおもな経過のおさらいをしましょう。

 

 

まず、少しずつ統合失調症らしい傾向がでてきたところからだんだん、または急激に陽性症状(幻覚や妄想などに代表される激しい症状)があらわれます。そして陰性症状(無気力や考える力が落ちる、うつ状態など)に変化してゆき、その後陽性と陰性のちいさなものを繰り返しながら徐々に寛解に近づいてゆく…というものです。

(なかなか寛解せずに、再発を繰り返したり残遺症状を残す場合も多いです。)

 

 

このサイクルを一回だけ、でもものすごく時間と体力、精神力を消耗します。

 

 

これをおおくの場合最低でも一回は経てから、やっとふつうの生活が待っています。

一度発症してしまったらずっと病院から出ることができないかたや、重い残遺症状を残すなどして一生ふつうの生活ができないかたも数多くいらっしゃいます。

 

 

つまり、統合失調症患者にとってのふつうの生活とは、「なんとしてでも手に入れたいけれどとても難しい、輝かしいもの」のひとつです。

 

 

そこで、運よく寛解し、ふつうの生活を手に入れたとします。

 

 

 

そして、「ふつうだね」と言われたとします。

 

 

 

 

 

 

みなさまは、努力して努力して手に入れたもの、たとえば社会的な地位、資格などに対して、努力したことがなかったかのように(ただ運や才能だけで手に入れたかのように)結果だけを見てあれこれ言われてもやっとしたことはありませんか。

 

 

そのときの感覚に近いです。

 

これはどういう感覚か、といいますと、「努力や苦労をかさねやっと手に入れたという経過を見ず、今の状態だけを見てふつうと言われた」ためになんかもやっとする、という感覚です。

 

 

そして、この「ふつうといわれてもやっとする」感覚の理由にはもう2種類あります。

 

 

 

「病気や副作用で苦しくてたまらないのを、迷惑をかけないようにその場だけ一所懸命取り繕ってふつうに見せていて、それをただ単に表面だけ見てふつうだねといわれてなんだかもやっとする」というものと、「統合失調症はふつうじゃないという前提があるからわざわざふつうだね、というんだなと思ったときにもやっとする」というものです。

 

 

 

だいたいこの3つの理由のうちの一つまたは複数が重なって、なんだかもやっとする、という感覚をかたちづくっています。

 

 

 

「めんどうくさいなあ」と思われてしまうかもしれませんが、感情の細かい部分の解説ですので、ゆるしてくださいね^^

 

 

 

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 統合失調症患者がおもったよりふつうだといいたい時の伝え方

 

とはいえ、悪意なく、褒めるつもりで「ふつうだね」と伝えたいかたがほとんどだとおもいますので、そのとき(できれば触れないほうがいいのですがどうしてもいいたいとき)にどう伝えるのがいちばん円滑にいくか、というおはなしをすこしだけしたいと思います。

 

 

ようは、統合失調症がふつうでないという偏見を持っていると誤解されないように、努力して手に入れたふつうであることを踏まえた上で「ふつうだね」と伝える言い方をすればいいわけです。

 

 

わたしが思う一言は、「いろいろあっただろうけど、ふつうにできていると思うから大丈夫だよ」がいいんじゃないかなとおもいます。

 

 

これなら、過去に病気で苦労したことを考慮しつつ、今現在症状を隠して頑張っていることも考慮しつつ伝えることができるかとおもいます!^^

 

 

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感情的な文章かどうかはよくわかりませんが(笑)いかがでしたでしょうか。

 

 

かなりマニアックな統合失調症患者の気持ち、のおはなしでしたが、すべての統合失調症患者がこう考えているわけではないというのは当然のことですが、付け加えておきます。

 

 

 

そのうえで、参考にしていただけるとうれしくおもいます^^

 

 

 

 

ではでは、そろそろお米をたいてきまーす!(^^)〜♪